儚くも永遠の愛の旋律 第十二話
運命の夜
それからは、まるで運命の歯車が回りだしたように、二人の時間はぴったりと合わさった。
ライブの仕事や、旅の仕事で頻繁に一緒になった。仕事が一緒でないときでも、旅に出るとすぐ近くで彼もライブの仕事をしていた。ふたりは殆ど毎日のように逢うようになった。仕事の帰りには、いつも何処かで待ち合わせをして食事をした。逢うたびにふたりは近づいていった。
レオンと親しくなればなるほど、アンナの苦しみは増していった。今では彼のいない日々は考えられなくなっていた。
二人の話題はもっぱら音楽の話だった。クラシック、ジャズ、シャンソン・・・。
あらゆる曲について、作曲家の考え、譜面の読み方、言葉の意味や、その曲の歴史など。二人の会話は途切れることはなかった。豊かで創造的で、アンナにとっては夢のような時間だった。今まで誰ともこんなに音楽の話をしたことはなかったわ。それに話をしても、大抵は途中でどうでもよくなってしまう。
レオンと話をしていると、気の弱い自分でも自信が持てるような気持ちになった。自分らしく歌うということ、自分の世界は大切なもので、誰に何を侵食されるものではないということをレオンは教えてくれた。
しかし、アンナには夫がいた。その夫のことを考える時、お休みなさいと言ってレオンと別れる時、アンナは自分の体も心も何処にも芯がなくなったかのように虚ろな気持ちになった。
何度か夫と離婚話をしたことがあるが、夫が頑として離婚を拒否した。どんなにレオンを愛したとしても、今のままでは不倫の関係でしかないのだ。街を歩く時も、レストランで食事をする時でも人目を忍んで逢っている。だから、親密な関係を結んでいないことが、かえってアンナにとっては自分に対する口実にもなったのだった。私とレオンは友達なのだと。
しかしそんなことは長くは続くはずもなかった。レオンに対する気持ちは日々強くなり、レオンもまたアンナをこの上なく愛するようになっていった。
ワインを飲みながら、そっと手を触れて、二人はそのまま黙ってしまうことが多くなった。帰り道では、いけないと分かっていても、アンナはレオンの腕に体を寄せて歩いた。触れ合うことで苦しみは増していくのに、触れ合わなければますます気持ちは募っていく。アンナは決心した。
ある日レオンは帰りがけにこう言った。
「今日はこのまま僕の家に来て欲しい。」
アンナもその夜は、予感を抱いていた。最初から二人とも口数が少なく、どこか緊張していたのだ。私は何も言わず首を一つ縦に振った。
彼の住む部屋へ着くと、三階まで階段を昇った。カンカンと靴音が響いた。私は急いで、足音を消した。
「大丈夫。ここには僕しか住んでいないから。あんまりみすぼらしいアパートだから、皆何処かへ越しちゃったよ。」
部屋の扉はぎぃーと音を出して開いた。魔法の国に入る時の呪文のようだった。
彼は部屋へ入ると明かりを付けた。小さな部屋に大きなグランドピアノが浮かび上がった。ピアノの上にも、本箱にも楽譜が積み上げられていた。その他は、生活を感じさせるものは殆どといって置いてなかった。小さなテーブルと椅子は2脚だけ。窓際に置いてある花瓶にはコスモスらしきものが活けてあった。枯れて、殆ど花びらは残っていない。
彼はじっと立ったまま私を見ていた。
「まさか、僕の部屋に君がいるなんて。」
「ええ。でも私、嬉しいわ。」
彼は私を強く抱きしめた。私も彼の背中に腕を回し、強く引き寄せた。彼は私の唇にそっと口付けをした。夢にまで見た、彼との接吻だった。彼は唇を離し、今度は私の髪に触った。頬をなで、そしてもう一度口付けをした。強く激しい口付けだった。私たちはずいぶんと長い間、こうなることを避けてきた。でも、お互いに分かっていた。いつかこういう日が訪れることを。そして、そうなったら、もう後戻りは出来ないということを・・・。
ベッドに入ると、彼の匂いがした。枕に頭を乗せ、彼の優しい抱擁を受け入れた。肌が触れ合うと、お互いの肉体の境目が分からなくなるほど馴染むのだった。彼への愛おしさで胸は張り裂けそうだった。指で彼の体を優しく撫でた。彼の愛撫は、私の魂を揺さぶった。二人が一つの体になった時、私の目からは涙が溢れた。
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