幻想と日常のはざまに思うこと

頬に触れるピリッとした冷気の中でも、

愛犬とのお散歩はかかさない。

何より楽しいひと時だ。


美しい幻想的な未来図を描いたAIとCGを駆使した映像には、しばらく魅入ってしまう。

宇宙人は普通に洋服を着てアクセサリーを身につけ人間と楽しそうに話をして、

ロボットはそのまま人間の顔をしていて、でも横を向くと機械で。

巨大な生き物も人間や宇宙人と普通に共存していて、とにかく静かで。

人間の着ている服は、1900年代初め頃のクラシカルなドレスやスーツ。

空中に浮かぶ狭い機械の中の家、空飛ぶ車や玩具のような乗り物、

もはや普通の家や道路や街はない。

幻想的な未来、現実ではありえないものを描いている。

でも、とにかく平和なのだ。

皆が静かに語らい微笑み、、少し寂しそうな人々や生き物もいるけれど。

なぜ、この様な情景を美しい、平和だと感じるのか。自分でも不思議だった。

数年前なら、これほどまでに平和な感情を抱くことはなかったのではないのかと思う。


なぜなのか。

多分、今の私の心は、現実の世界に対して恐怖があるから。

見えない狂気のようなもの。立ち向かうことが出来るのかわからない凶器。

この先どのような世界になっていくのだろう。

そんな漠然とした恐怖感は、ありもしない、いや、もしかしたら訪れるかもしれない近未来図が、これほどまでに平和で穏やかで静かなら、どんなに良いだろうとどこかで思うのかもしれない。何も常識に囚われなくても良いのだ。

今まで存在しなかったものとの共存は可能なのかしら。

生き物だけでなく自然も。新たな時代の訪れ。


その前には混乱と無秩序、不安を抱き争いが起こるだろう。

そんなものを乗り越えて、共に平和に暮らせる事ができたら。

この広い宇宙のどこかに生存する宇宙人はきっといる。

地球にまでやってくるなら、人類よりは知性が勝っているということか。

何次元の世界で生きているのだろう。それこそ、大きく目立つ宇宙船になど乗ってこなくても、ワープで地球にやってきて、普通に生活していたりして。

ある日突然、母船が地球の上空に止まり、銀河系より遙か遠い星から大勢がやってくる。

さてその時彼らの知性で観察した宇宙人は、地球人に平和を提示するのか、争いを仕掛けてくるのか。

でも、地球上では相変わらず愚かしく人類同士が争っているのだから、宇宙人は平和や人類への尊厳を抱くことが出来ないのではないかしら。


でももし、優れた知性が生み出した文明を地球人に伝えてくれたら、愚かな争いをなくすことができたら。本来の人間の持つ、愛や夢や希望、共感、知性を溢れさせることが出来る。人類が築き上げた数千年に及ぶ文化、文明を繋ぎ、異文化と共存することができるのだ。

なんて美しくて平和で豊かで、壮大な眺めとなるだろう。


しかし、、、。

愛犬とのお散歩で少しだけ自然に触れると、草の葉一枚にも感動する。

そうこれが本来の私の感覚。流れる水面、可愛い水鳥たち、少し膨らんだ蕾をつけた桜の木々、枯れた草やその下から顔を出している新芽。どれも美しくて、どんなに見ていても見飽きることはない。東京の自然など、ほんの少しの気休めだろうけれど、それでもどんなに自然を大切だと感じることか。

そして不安な気持ちを慰めてくれるのもやっぱり自然に触れたとき。


お散歩の途中、目の前の枝に翡翠がとまっていた。

今日のパッとしない冬空の光の中でも、輝くような青緑色。翡翠色。

スマホでの撮影だからあまり綺麗に撮れないが、ほんの少し気配だけでも。


庭のハナミズキは春には今年はたくさんの花を咲かすだろう。

2本とも蕾がたくさん付いた。

まだ咲いてくれない庭のクリスマスローズ。土から少し新芽が出てきた。

紫色と白色の花を見るのが待ち遠しい。

最近では時々、このような白日夢と現実の間を彷徨っているような感覚を持つ。

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