不思議な日

ふと思ったこと・・。

用意を済ませた帰りの電車の中で、家の最寄りの駅より少し手前で電車を降りて歩こうかな。

最近は少し運動不足だし、何より今日は秋晴れの素晴らしいお天気だから。

それに、今日はどうしてだか、以前とても親しかった友人、数年前に天国に旅立った友人の面影によく似た人に何人にもすれ違った。

「あ、よく似てるなぁ」

時々そんなことを思うこともあるけれど、いつもより多く出会った感じがした。

なんの関連性もないのだが、降りた駅はたまたま、いやもしかしたら頭のどこかでわかっていたような気もするが、その友人が住んでいた家の最寄り駅。

確か、この駅だと言っていたなぁ。

私は東京生まれ。長年住んでいるのに、意外に自分の家からさほど遠くない駅に降りることがない。その駅も初めて降りた駅だった。

幹線道路の近くで、その通りの歩道を歩いた。

その友人の告別式に来たお寺の近くのような気もする。

それにしても、ここは数十メートル歩くとお寺が立ち並んでいるのだわ。

こんなにお寺が立ち並んでいるのだから、何かこの土地に由縁があるのかもしれない。

家まではここからゆうに2時間以上は歩くことになりそうだ。秋晴れの素晴らしいお天気は明るいうちだけに決まってる。薄暗くなってきて釣瓶落としのように辺りは暗くなった。

お料理をするのが好きな人だった。毎日スーパーマーケットにお買い物に行くと話していたことがある。大きなスーパーマーケットを通り過ぎた時、ここにも買い物に来たのかもしれないなぁ。

歳月は光陰矢の如し、瞬く間に過ぎてきた。

歩きながら、なぜかその日は亡くなった数人の友人の顔が浮かんできた。

若くして事故で亡くなった友人。私もその時は若く、その友人の死を受け止められなくて、立ち直るのが大変だった。もう随分と昔だけど、思い出はくっきりと残っている。

天国に旅立った父や母のことは毎日想い出している。私には頼りにできる叔父や叔母もいない。でも、私には家族がいて支えてくれる。若い時にはひとりぼっちなんてへいちゃらだったけれど、年とともに家族や友人の存在を心からありがたいと思うようになった。

亡くなった人の想い出は強烈に蘇る。友人や父や母の想い出。歩きながら様々な想い出が再現され、皆の声が大きくはっきりと聞こえてきた。

それは、どれもたわいもない想い出。時に印象に残ることでもないのに、皆の存在をリアルに感じる。不思議なものだわ。しばらくとりとめのない想い出の中の会話に没頭していた。

どれほど歩いただろう。後ろから小刻みの足音が近づいてきて、我にかえった。タタタタ!

後ろを振り返ると3歳くらいの女の子がひとり走ってくる。

「どうしたの?」思わず声をかけた。

「お母さん遅いから置いてきたの。」

電灯の灯りを頼りに目を凝らすと、乳児を抱っこしている母親らしき人が見えた。

「お母さ〜ん!遅いよ!」

赤ちゃんを抱っこして早歩きは大変だろう。私はその女の子をしばらく留め置くことにした。

「走るの早いのね。少しお母さん待ってようか。」

私の顔をしばし眺めると、女の子は母親の元へと駆けて行った。

女の子によって生者の世界に引き戻された私は、家までの距離はかなりのものだと再認識し、今更ながらに途方に暮れた。

あと1時間・・頑張って歩くか。こんな日があってもいいものね。

仕事帰りの人々で賑わう駅の近くにきた。飲食店が立ち並び、どこのお店の中にも、多くの客で賑わいをみせていた。ネオンに照らされた夜の街の風景。眺めて歩くのも楽しかった。

次の日、この文章を書いていて想い出したことがる。

長い散歩をした日は40年前に若くして事故で亡くなった友人の命日だった。


ふと思う。寂しさからは逃れられないけれど、想い出の中では生者も死者も変わらず生き続ける。むしろ、生き生きとして存在する。

不思議な日だった。



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